【自己紹介】偏差値33だった僕が、なぜ海外大学に行くことになったのか。
はじめまして !
Tobiです。
このブログをたまたま見つけ、運良く目を通して下さった方々のほとんどは僕と面識がないと思いますので軽く自己紹介を…
僕は2018年4月現在、英国ウェールズというところに留学し7ヶ月が経ちます。
今はFoundation Course (ファウンデーション・コース)というところで英語・ビジネス・数学等を勉強しており、2018年秋からアイルランド国立大学のTrinity College Dublinに4年間正規留学します。
僕がこのブログやSNSを始めたきっかけは、ひとえに「英語や留学を身近なものにしたいから」です。僕が海外留学を決めた経緯から、英語が出来るようなるまでの道のりを今回は紹介していけたらと思います。
まず、始める前に。
僕はハーフでも、帰国子女でもなく、「純ジャパニーズ」です。
そして、中学高校まで英語が大の苦手科目でした。
(定期考査下位や模試で偏差値33なんてのもありました。。。)
(現役受験(高3)10月時点での英語の偏差値を紹介しようと思ったのだが、他教科すらヤバいのが丸わかりである...)
ーーー
(僕の人生の)目次
ーーー
①0からの英語と悲惨だった現役受験 (中1~高3)
僕が英語に触れたのは中1から。
中学受験をしたのだが、英語という科目は受験科目になく、0からのスタートだった。
真面目に勉強する姿勢がなかった僕は、小テスト呼び出し組常習犯だった記憶がある。(それすらすっぽかして昼休みに校庭を走り回っていたような...)
時は流れ高校2年生。
僕の当時の進路は父の影響でおこがましくも「医学部」
当然勉強に熱を注いだことのなかった僕の学力では、医学部受験で使う英語・数学はどこから処置しようかの状態。(※ 物理化学は比較的ましだったため割愛)
だが、僕の中高は大学系列で指定校推薦で医学部の枠があったため、
「私文のクラスに行って文系科目で評定を稼ごう」という巧妙(?)な手口を思いつき文転をしたのが高3になった時だ。(これが地獄の始まりでもある)
理系最高峰の医学部から文転した僕の心理として、「私文は甘え」という今思えばしょーもない理由で一橋大学を選択。法に全く興味が湧かなかったため経済・商学部を目指す受験生活が幕を開けた。(これが2015年夏)
開始して3ヶ月目で受けた模試が、冒頭に載せた強烈な模試結果の写真だ。
これを読んでくれてる受験生、試験で落ち込んだ時はコレ見て元気出して欲しいレベル...だがこれを機に猛勉強し、一橋の2次試験で数学3完(5題中3題正解)するぐらいまで出来るようになった。
センター英語120点、二次試験で英語が足を引っ張り不合格だったが。
②英語専門塾との出会いと英語への目覚め(1浪時代)
先ほどセンターから二次試験までの流れをさらっと書いたのだが、1月中旬から2月初旬までは実は慶應の試験対策をしていた。なぜなら自分が二次試験に通ると思っていなかったから。
(その年の1次の商学部だけやたら低かったお陰で2次試験まで受けれた)
過去問を解く中で、慶應と初めてまともに向き合い、惚れた。
(自分が4年間生活しているのをリアルに想像できたのは慶應だけだった)
「ここで勉強したい!」と思える大学に初めて巡り会えたのだった。
1浪の時は慶應専願に絞っていたので、駿台(日本史)と英語専門塾に通い始めた。
(この英語専門塾が僕の人生を大きく変えることになる)
志望校は決まったのはいいが、問題は英語をどう伸ばすかだった。
英語が出来る!までのプロセス
英語専門塾の方針で、最初の3ヶ月はひたすら単語王と文法を1から叩き込む日々。
この下地があったからこそ夏以降に受験問題とまともに向き合えたのかと思う。
4月から夏期講習前までの3ヶ月で一周完了。
(1周の定義は単語王で言うなら、1~2202の単語「英語を日本語に出来る」状態)
ターゲット2100を半分で断念しセンターに臨んだ僕にとっては初めての成功体験と言える。ここで最後までとりあえず終わらせてみる根気強さを覚えた。
そこから12月までひたすら実践演習を重ねた。
11月半ば、予備校内で海外大学推薦入試があり、それを受験し「条件付き」合格
(※国内で英語をもう少し勉強することを条件に渡英が認められるというもの)
合格を1校勝ち得た状態で冬から国内受験に突入する。
センターの点数は英語が193点(補足だが日本史94点)で現役の仇討ちに成功。
この時点では日本のどこの大学のセンター利用に出願してもほぼ合格を勝ち取れる状態でした。でも結論から言うと、慶應には不合格でした。
ーーー
お疲れ様でした。駄文にお付き合い頂きありがとうございます。
ここまでが僕の英語のできなかった「受験生活」の2年間でした。
ここからは僕の「留学生活」についてです。
ーーー
③順風満帆ではない留学生活(1浪終了後~現在)
1浪を終えた春、僕は苦悩しました。
何がいけなかったのか反省に苛まれる中、決断の時はやってきます。
その当時僕は海外に行くことに消極的でした。
「高いお金を両親に払ってもらってまで海外に進む価値はあるのか」
「自分のやりたいことは海外に行かないと叶えられないことなのか」
「大学に行くより高卒で社会に出た方が自分のためになるのではないか」
「海外も社会も怖いなら国内で2浪するのか」
結論を先に言えば、皆さんお分かりだと思いますが海外を選びました。
そもそも僕が慶應に行きたかった理由は「ネームバリュー」「なんとなくカッコいい」「4年間楽単を取ってサークル・バイトして就活する」「友達作って遊び暮れる」「三田会のパイプがあって就職強そう」
すごく頭悪そうな理由を並べましたが、始めはこんなもんだったかなと思います。
恐らく今の日本の風潮として「周りがみんな大学に行ってるから行く」、なんの疑いもなく受験をして大学に進学する学生がほとんどなのかと思います。
(特に大学進学率が非常に高い進学校は受験しない選択肢が脳を過ぎることすらないかもしれません)
ただ、将来については明確な目標を1浪して自分を見つめ直している時に見つけました。「文系でも医療に携わる。医療システムの改革をする。そのために英語を使い海外とコミュニケーションを取りながら仕事をする」
あれ。これ慶應行って出来んのか?いや無理じゃね?
ってことに気付いたんです。僕に足りなかったのは「自律」と「踏み出す勇気」でした。
事実、慶應を目指した1浪中、自分では全力のつもりでもどこかで休んでたり、YouTube見たり、勉強しない時期が少しあったりと自分への甘えがありました。
(高校生で部活でも勉強でも自分を律することが出来る人は本当にすごいと思う)
そんな自分を変えたい!という一心で留学のための勉強を始めました。
具体的には、受験勉強が終わった後も渡英までの半年間、同じ英語専門塾にお世話になり、2017年8月から10ヶ月の英国留学生活が始まりました。
最初は日本語で思い浮かんでも英語に脳内で翻訳する作業をし続け、会話中「う〜ん」と言う時間が長かったですが、今は英語で聞かれたものに対してすぐに英語で返せるようになりました。
数字で言うと本番形式のIELTSで6.5を取得するまでに至りました。(2018年2月時点)
ーーー
言いたかったのは、
始めから英語が出来た訳ではないということ。
誰しもが最初は0からのスタートです。
しかし2年で僕の英語力は飛躍的に向上しました。
(逆に言えば6年間の中高で学ぶ英語は実践では100%の力を発揮できないこと)
勿論約7ヶ月は英語しか使えない環境に身を置いていますが、留学しなければ英語が身につかないかと言うとそうではありません。むしろ日本には質の高い参考書や英語を使える環境が整っていると僕は考えています。
このブログでは僕の経験や失敗談、ノウハウを含んだ海外留学、語学、大学受験の話を主軸に、日常や旅行など様々なことを書き募っていこうと思っています。
よければこれからもご愛読よろしくお願いいたします。
Tobi